造り酒屋の末娘カスミの蔵は、潰れかけている。味は悪くない。ただ「普通にうまい」だけの酒は、もう生き残れない時代だ。カスミは蔵の古文書で見つけた——曾祖父の代、船で南方へ売りに出した樽が売れ残って帰ってきたら、化けたようにうまくなっていたという走り書き。
熱と揺れが酒を育てたのだ。カスミは最後の仕込みの三樽を貨物船に積み、自分も乗り込んだ。三十日の航路、赤道を跨いで戻る便だ。樽は温度で機嫌を変える。甲板長のドンブラは「酒のために船に乗る阿呆は初めてだ」と笑い、機関士のネジオは船倉の温度計を一緒に見てくれる。
賭けに負ければ蔵は終わる。勝てば——帰港の一杯を、蔵を守り切れなかった父の墓前に置ける。船は今日、外洋に出た。樽が、初めての波に軋んで鳴った。
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