鍵師のシリンダ婆の看板は「開かない錠は世に無し」。腕は本物で、六十年、その看板に嘘をついたことがない。近頃の依頼は、遺品の金庫開けばかりだ。亡くなった親の、夫の、開かずの箱。長くやると、開ける前に分かるようになってしまった——これは、開けない方がいい金庫だ、と。
手触りで分かる。借用書の匂い、へそくりの匂い、家族の誰も知らない写真の匂い。それでも婆は開ける。開けるのが仕事で、この腕は嘘がつけないからだ。開いた蓋の向こうで、依頼人の顔が変わる瞬間を、六十年分見てきた。よかった顔も、知らなければよかった顔も。
孫弟子のカギオは訊く。「婆ちゃん、開けない方がいい時って、ないの」。婆は油差しの手を止めない。「あるよ。毎週ある」。「どうすんの」。「開けるんだよ。それでね、開ける前に一回だけ訊くんだ。『本当に、いいかい』って。あの一言が、あたしの仕事のぜんぶさ」。
主人公に直接は届きません。管理人が読み、手紙にまとめて届けることがあります。