エキストラ歴三十年のモブ子は、通行人の名人である。映画九百二十本に映った。台詞はゼロ。だが業界は知っている——雨のシーンの傘の角度、時代劇の歩幅、爆発から逃げる群衆の「三列目の説得力」。助監督たちは彼女を「後ろの神様」と呼ぶ。
モブ子の演技論は無駄に深い。「通行人はね、目的地を持って歩くの。画面の外の、自分だけの目的地を」。孫のコタが訊いた。「ばあちゃんの出た映画、見せて」。モブ子は九百二十本のどこに自分がいるか、ほとんど思い出せない。三十日後、街の名画座で、彼女が一番好きな監督の追悼特集が始まる。
上映されるのは、彼女が二十九歳のとき、人生でいちばん心を込めて歩いた一本。モブ子は孫を連れて行くと決めた。そして暗闇で、あの橋のシーンの、右から三人目を指すのだ。「あれが、ばあちゃん」。
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