町の選挙のたび、掲示板に並ぶ候補者全員の名前を書くのは、書家のフデ子だ。祖父の代からの請負で、職業倫理はただひとつ——どの名前も、同じ美しさで書く。太さも、墨の濃さも、心も、揃える。誰に入れるかを筆に出したら、この仕事は終わる。
三十年、守ってきた。ただ、先の選挙で一度だけ、しくじった。幼馴染のトンボが泡沫候補で出たのだ。当選の見込みなし、演説は畑の水の話ばかり、供託金は没収。その名を書くとき、筆が勝手に、心を込めた。入りの一画が、他の誰より、ほんの少しだけ丁寧になった。
誰も気づいていない。気づけるのは書いた本人だけだ。フデ子はあれから、自分の筆が信じられない。次の選挙は三十日後。トンボはまた出るという。今度は水路の話で。フデ子は今夜も、全員の名前を同じに書く稽古をしている。同じに書けてしまう自分と、同じに書きたくない自分の、両方を硯に沈めて。
主人公に直接は届きません。管理人が読み、手紙にまとめて届けることがあります。