リュウジ(三十二)には、生後十ヶ月の娘ネネの字幕が見える。夜泣きの「ねむいのに ねむれない くやしい」。離乳食の「これ きのうのほうが すき」。妻があやすときの「ママ きょうも こえが すき」。見えるのは父のリュウジだけで、妻には信じてもらえていない。
「はいはい、また見えたのね」と笑われて終わりだ。字幕の決まりはひとつ。初めての言葉を話した日に、消える。ネネは最近「まんま」の手前まで来ていて、リュウジは焦っている。消える前に、どうしても妻に届けたい一行があるのだ。育児で疲れ切ったある夜、妻は「わたし、ちゃんとママできてるのかな」と泣いた。
その横で、ネネの字幕を、リュウジは確かに見た。だが自分の口で伝えても、慰めにしか聞こえないだろう。証拠はない。見えるのは自分だけ。初語まで、おそらく三十日もない。リュウジは考える。字幕を妻に信じてもらう方法を。あの一行を、あの夜のままの重さで、妻に手渡す方法を。
主人公に直接は届きません。管理人が読み、手紙にまとめて届けることがあります。