世界一大きな亀「せなか様」の背には、村がある。イサナ(十五)はそこで生まれた。動く水平線、季節ごとに変わる鳥、背中の湯気の匂い——故郷とはつまり、この背中のことだ。せなか様は百年ごとに、住み慣れた海から山脈を越えて、隣の海へ歩いて渡る。
山越えは三十日。そのあいだ背は大きく傾き、村は丸ごと斜めになる。今朝、物見が銅鑼を鳴らした。百年ぶりの山越えが、来る。村の決まりはふたつある。ひとつ、山越えの間、村の物はひとつも捨てない。落ちた物は、拾いに戻れない。ふたつ、亀を降りたい者は、歩みが一度だけ止まる「峠」でしか降りられない。
村は支度に入った。家々を太い綱で縛り、畑に覆いを掛け、墓を藁で包む。やがて世界がゆっくり傾き始める。通りは坂になり、椀は滑り、夜ごと家が軋む。イサナの役目は「結び直しの見回り」——ゆるんだ綱をひとつ見逃せば、誰かの暮らしがひとつ、谷へ落ちて戻らない。
そして幼なじみのカイリは、荷物をまとめている。「おれは峠で降りる。動かない土の上で暮らす」。イサナは毎日、綱を結び直しながら考える。峠までに、カイリに何を言うか。峠の頂上からは、次の海が初めて見えるという。その朝を、隣で見るはずだった。
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